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【アラベスク】  第14章 kiss



第4節 聖夜の涯 [5]




「何よ? 言いかけたんなら言いなさいよ」
「あ、いや、別に何でも」
「お前のそういうもったいぶった態度が気に入らねぇんだよ」
 当て付けのような聡の声に、瑠駆真がムッと眉を寄せる。
「別にもったいぶってなんかいない」
「じゃあ言えよ」
「別に言うほどの事じゃ」
「言いなさいよ。気になるのよ」
 美鶴に睨まれ、瑠駆真は乾いた唇を少し舐めて、観念したようにため息をついた。
「その、田代さんって人も涼木さんと一緒なのかなって」
「た、しろ」
 少し身体を強張らせた美鶴に、瑠駆真が慌てて付け足す。
「ごめん。変な事言っちゃったよね。悪かったよ」
「別に」
 とは言いながらも、動揺しているのは二人の目にも明らかだ。
 田代里奈。美鶴の元親友。今は親交は無い。
「ごめん。忘れて」
 自分はなんてくだらない人物の名前を出してしまったのだろう。
 俯き、発言の浅はかさを呪う。何か別の話題でもないものかと顔をあげ、今度は視線を遠くへ飛ばす。そうして、思わず小さく声をあげた。
「あ」
「何?」
「どした? 今度は何だ?」
 すばやく反応する二人。瑠駆真はしばらく一点を見つめたまま無言で思案し、やがてゆっくりと美鶴を見下ろした。
「クリスマスプレゼント、用意するの忘れた」
「はぁ?」
 呆れたような美鶴の声。だがその後ろから、小さく慌てた声。
「あ、ホントだ」
「言っとくけど、最初からそんなモノ期待してません」
「なに? お前、それはないだろう」
「でも、結果的には無いんでしょう?」
「そ、それはだなぁ」
 軽くモメだす二人の会話を聞きながら、瑠駆真はそっと、先ほどの場所へ視線を飛ばした。交差点の向かい。横断歩道の向こう。人混みの中に見えたような気がした。
 あの姿は、小童谷(ひじや)





 騒がしいな。
 ぼんやりと、ポケットに両手を突っ込みながらブラリと歩く。
 (うるさ)い。耳障りだ。
 まるで夢遊病者のように目的もなく彷徨う。そんな姿をすれ違う人々は気にも留めない。皆一様に笑い合い、幸せそうに通り過ぎていく。
 なにがクリスマスだ。くだらない。
 毒づく陽翔(はると)の耳に、嫌味を込めた声が響く。

「僕は明日のイブを、美鶴と過ごす」
「楽しい聖夜を、君に見せてあげられないのが残念だよ」

 何が楽しい聖夜だ。馬鹿馬鹿しい。どうせ集団で集まってバカ騒ぎだろう。
 そうだ、アイツは二人っきりで過ごすとは言わなかった。今頃また金本(かねもと)ってヤツと醜い取り合いでもしてるんじゃないのか? 聖なる夜にくだらないね。
 鼻で笑う。
 だいたい、あんな田舎臭い女のどこがいいんだよ。腹いせとはいえ、あんな女とキスなんてするんじゃなかったかな。
 そこでふと立ち止まる。
 初子(はつこ)先生の唇は、もっと柔らかくて気持ちがいい。
 途端、痺れるような冷気が陽翔の唇を覆う。
 違う、初子先生のキスはもっと柔らかいはずなんだ。
 とても柔らかくて、暖かいんだ。そうに決まってる。だって先生は、とても暖かくて、優しくて、綺麗で素敵な人だったから。俺の事をすべてわかってくれている人だった。
 その姿を思い浮かべるだけで幸せになる。なのに――――

「どんなに頑張っても、母さんはお前のものにはならないんだ」
「お前の傍に母さんはいない」

 嘘だ。
 拳を握り締め、地面を睨む。急ぎ足の男性が迷惑そうに陽翔の背中を押す。混みあう交差点。人混みの中で、陽翔は一人、唇を噛む。
 嘘だ。先生はいつだって俺の傍に居る。先生と俺はいつだって一緒なんだ。
 勢い良く顔をあげる。
 華やぐ幸せな街。行き交う人はみんな笑顔で、でも陽翔に笑いかける者など一人もいない。
 居るはずだ。
 周囲を見渡す。
 傍に居るはずなんだ。
 人混みが煩い。音楽が邪魔だ。ならばなぜこんな繁華街に出てきてしまったのか。
 探しに来たのか? 誰を?
 先生は俺の傍にいる。いつでも優しく笑ってくれる。
 ぐるりと捻るその視界の先、陽翔は瞠目して、そして息を呑んだ。
 山脇?
 交差点の向かい。横断歩道の向こう。東洋と西洋を織り交ぜた、甘く優しく魅力的な顔立ち。その漆黒の瞳が楽しそうに揺れて傍らの少女を見下ろしている。
 大迫美鶴。

「楽しい聖夜を、君に見せてあげられないのが残念だよ」

 嘘だ。あんな根暗な男が楽しそうに聖夜を過ごし、この俺が一人で街を彷徨う。嘘だ。そんな現実はあり得ない。
 見間違いだ。あれは山脇じゃない。
 そうだ。俺が探しているのはあんな小心者じゃない。俺が逢いたいのは初子先生。先生なんだ。
 脳裏に思い浮かべる。優しそうに、楽しそうに、柔らかく向けてくる笑顔と眼差し。
 その姿が、交差点の向かいの姿に重なる。
 先生を殺した犯人。生きる価値もないのにのうのうとこの世界に居座る図々しい輩。どうせならお前が死ねばよかったのに。
 そうだ。あそこに居るのは、本当はあんな男ではないはずだ。あの男ではなく、先生が生きているべきなんだ。あそこには本当は先生が立っているはずなんだ。
 逢いたい。もう一度逢いたい。
 願いを込めて想像すると、少年の姿に女性の影が重なる。だんだんと姿が薄れてゆき、逆に女性が現れる。
 先生?
 隣の美鶴を見下ろしていた、少し俯き加減だった顔がスッとあがった。何かを探すかのように辺りを見渡し、そうして視線が重なった。
 先生?
 人混みが揺れる。視界が遮られる。一瞬でその姿を陽翔から覆い隠す。
 先生っ!
 懸命に掻き分ける。滅茶苦茶に腕を伸ばし、そこらにあるすべての邪魔を押しのける。
 先生、俺はここだよ。
 探すような視線の先で、一瞬だけ、ピタリと重なった二人の視線。
 先生、何を探していたの? 誰を探していたの?
 俺を探していたんだろう? そうなんだろう?
 腕を伸ばす。
 再びその姿がチラリと見える。だが、その視線はもうこちらを見てはいない。見ているのは横にいる誰か。
 どこを見てるの? 俺はここだよ。
 前の人物の背中を思いっきり押す。視界が突然(ひら)ける。夢中で走りだす。
 先生、俺はここだ。こっちを見て。俺を見つけて。
「おい、お前っ! 赤信号だぞっ」
 無我夢中で飛び出す。精一杯に腕を伸ばす。
 逢いたい。
「おい、何やってんだっ!」
 先生、俺はここだ。
「危ないっ!」
 先生っ!
 キキキキィィィィィィィィィィ!
 先生、俺を見て。


------------ 第14章 kiss [ 完 ] ------------





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